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【アラベスク】  第14章 kiss



第2節 本気の証 [5]




「こ、怖いって?」
「人を好きになるの、怖いのか?」
 ズレてる。
 美鶴は少し、拍子抜けする。
 聡の推測はズレている。
 私は別に、人を好きになるのが怖いんじゃない。ただ、好きになって、でもその事実を他の人間に嗤われるのが―――
 美鶴は、小さく生唾を呑む。
 それってやっぱり、人を好きになるのが怖いって事なんじゃないの?
 頭が混乱する。
 寒さと息苦しさで疲労も溜まっている。加えてこの状況。落ち着いて考える事なんてできない。
 よくわからない。だが、怖い事には変わりない。
「怖いんだろう?」
 身を強張らせ、瞳を泳がせる相手の態度に、聡はゆっくりと、小さく首を傾げる。
「俺、お前を嗤ったりしないよ」
 澤村優輝に振られ、田代里奈に裏切られ、周囲の嘲笑を受けて背を向け殻に閉じこもってしまった美鶴。寄せられる好意も拒絶し、世間を見下し嘲笑い、変わってしまった美鶴。
 そんな美鶴を、元に戻したい。明るかった頃の美鶴に戻したい。
「俺、嗤ったりしない」
 美鶴を戻してあげたい。
「だから美鶴、俺の傍に居ろよ」
「それは、できない」
 ようやくそれだけを口にする。
 言わなければいけない。好意は受け取れないと、伝えなければいけない。
「聡、私にはお前の気持ちは」
「なぜだっ」
 両手で両の頬を包む。
「どうして? どうして俺はダメなんだ?」
「それは」
「瑠駆真ならいいのか? 俺が役に立たないから、だからダメなのか?」
「役に立たないって?」
「俺はお前の自宅謹慎を解けなかった。澤村優輝に捕まった時も、俺は何もできなかった。数学の門浦(かどうら)の時だってそうだ。中学の時にお前が澤村に振られた時だって、俺はひどい事を言った」
 次から次へと、想いが飛び出す。
「俺はお前の役には立たなかった。俺は能無しだ」
 わかっている。自分が無力だって事はわかっている。
 悔しい。認めなくない。こんなのは惨めだ。
 だけど、俺は美鶴が好きなんだ。どうあってもこれだけは譲れない。
「でも、俺はお前が好きなんだ」
 真摯な瞳。
「だから、俺の傍に居てくれ」
 美鶴は泣きたくなった。どうしてだかわからない。目頭が熱くなり、油断すると涙が浮かんできそうになる瞳を閉じ、歯を食いしばって必死に堪え、口を開いた。
「お前の気持ちは、受け取れないんだ」
「なぜだ? 俺が役立たずだからか?」
「違う、そんな事は」
 聡が無能? 役立たず? そんな事は考えた事もない。コイツは何を言っている?
 理解のできない相手の言葉に息を吐く。
「そんなんじゃない」
「じゃあ何だ?」
 顔を覗き込む。全身に力が入り、深く圧し掛かる。圧迫感に、美鶴の眉間に皺が寄る。
「こうやって暴走しちまうからか?」
「それは」
「俺が、自分を抑えきれなくなるからか?」
「そ、れは」
「お前の気持ちも考えずにこっちの気持ちをぶつけるからか?」
 正直、それは迷惑でもある。だが、それが理由、というワケではない。
「聡、お願いだから離して」
「離せば、傍に居てくれるのか?」
 詰め寄られ、だが答えられない。
「傍に居てくれるのか?」
「それはできない」
「どうしてだよっ!」
 どうしてだ? どうして自分の気持ちは受け入れてもらえない?
「理由を教えてくれ」
「それは」
 言えない。言わなければいけないのに、言えない理由など無いはずなのに、美鶴はどうしてもその一言が言えない。
 臆病者。
 そんな美鶴に、聡は奥歯を噛み締める。
「美鶴、俺、もっと自分を抑える。もっとお前の気持ちも考えるようにするよ。もっと頑張ってお前を護れるようにする」
 切ない。
「もっと優しくするよ」

「金本くんは優しさが足りないんだよっ」

 優しさなんて、わからないけれど。
「優しくする」
 抱きしめ、愛しむように髪の毛を撫でる。
「だから、傍に居てくれよ」
 好きなんだ。欲しいんだよ。なのに。
「聡、ごめん、私は」
「駄目だっ!」
 聞きたくないっ!
 唇を押し当てる。
 嫌だ、聞きたくない。
 どこかでわかっていたような気がする。自分の想いは受け入れてはもらえないのではないかと。
 好きだと言い続けてきた。なのに美鶴は、これといっためぼしい反応を示してはくれなかった。だが、ひょっとしたらという期待も持っていた。だって美鶴は、具体的に聡の好意を拒絶しているワケではなかったから。
 なぜ答えてくれない?
 そう聞いたのは聡の方だ。だって、もう我慢できなかった。
 好かれているのかいないのか、わからないまま不安に過ごして、挙句の果てに瑠駆真とのこんな写真を見せられて。
 はっきりさせて欲しいっ!
 そう願ったのは事実だ。だから答えをくれと迫った。
 だが、受け入れてもらえないという答えは、受け入れられない。
 なぜだ? どうしてだ? やはり瑠駆真か? それとも原因は俺か?
 答えなどくれない舌を追い掛ける。
 嫌だ。欲しい。離したくない。
 聡は力任せに美鶴の胸元を引っ張った。
「きゃぁ」
 慌てて両手で押さえるより早く、幅の広いリボンが解けた。ブラウスのボタンが一つ飛ぶ。
 聡の頭が押し当てられる。それほど広く晒されたワケではないが、それでも白い肌が露出している。これ以上服を引き下ろされれば、下着が見えかねない。
 大きな掌が制服を撫でる。ワンピースの、脇下のファスナーに指が絡まった。
「聡、やめろっ!」
「嫌だ」
「聡っ!」
 なす術もなく顎をあげて叫ぶのと同時、部屋に激音が響く。一瞬にして圧迫感がから開放され、何が起こったのかワケがわからない。そんな彼女の身体を、強い力が抱き起こす。
「抜け駆けしているのはどちらだ?」
 低い声音が耳元で唸る。見ると、部屋の隅に呆気無く転がる聡。長身の男の身体。乱れた長髪。後頭部を抑えながら微かに動く。
「瑠駆真、どうして?」
「僕は合鍵を持っている。ちなみに暗証番号も知っている」
 言うが早いか、美鶴を立ち上がらせ、抱えるようにして歩き出す。
「瑠駆真」
 まだ放心状態で引き摺られるような美鶴。そんな彼女に構う様子もなく、瑠駆真はズンズンと歩き出す。目指すは玄関。
「瑠駆真」
「黙っていろ」
 絶句した。
 瑠駆真がこのような言葉を吐くことはまずない。少なくとも、美鶴に対しては無い。
 美鶴は結局何も言えぬまま、瑠駆真に抱えられて玄関から外へ出た。背後から聡の呼び声が聞こえたが、振り返る余裕すらもなかった。
 聡。
 なぜだか罪悪のようなものを感じながら、美鶴は瑠駆真に引っ張られてエレベーターに乗った。
 マンションの出入り口でタクシーに乗せられた。そのまま走り出す。まるで運転手は行き先を知っているかのようだ。
「どこへ行くの?」
 できるだけさりげなく胸元を抑えて美鶴が聞くと、瑠駆真はあっさりと答えた。
「僕の部屋」
「え?」
「学校へは行けない。行けばきっと大騒動になる」
「それって」
 写真が原因?
 そう聞こうとする美鶴の言葉を憮然と遮る。
「犯人は小童谷だ。わかってるとは思うけど」
 やっぱり。
 彼以外には考えられない。
 だけどどうして?
 甦る唇の感触。
 胸元を握る手に力が入る。俯き、目を閉じる。
 どうしてあんな事をしたのか? されたのか? そうして今度は写真などを。
 わからない。全然わからないよ。







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